2011年10月1日土曜日
夢のかけらNo.63『詩二編』 2011年10月1日号
夏休み
八月もあと少し
夏休みもあと少し
入道雲が消えた
東の空が藍色になる
西の空が茜色に輝く
そんな時
電信柱の陰から
小学生の僕が
老人の僕に
ニコッと笑う
ニタッと笑う
ふふっと笑う
夏休みの宿題は終わったことがない
先生の顔が浮かぶ
赤トンボが飛んでいる
山の色が青から緑に変わる
空の色が秋色に変わる
そんな時
電信柱の陰から
若いおふくろが
年老いた僕に
ニコッと笑う
ニタッと笑う
ふふふっと笑う
そんな時
電信柱の陰から
若い親父が
老人の僕に
ニコッと笑う
ニタッと笑う
ふふふふっと笑う
ぼくは阿弥陀だ
ぼくの体の中を水が出入りする
ぼくは水だ
すこししょっぱいかもしれない
器があればどんな形にもなる
ふだんは形がない
どこにでもあるがどこにもない
いつでもあるがいつでもない
石に穴をあけることもできるし
山を壊すこともできる
人を助けることもできるし
人を殺すこともできる
悪人でもあるし善人でもある
ぼくは水だ
じっとしている時もあるし
はげしく動いている時もある
ぼくの体の中を空気が出入りする
ぼくは空気だ
ぼくは空だ
と言ってもおかしくないんだ
ぼくは空だ
宇宙だ
ぼくは宇宙と同質だ
宇宙は阿弥陀と言ってもいい
ぼくは阿弥陀と言ってもいいんだ
生きていても
死んでいても
阿弥陀
ぼくは阿弥陀に向かって
頭を下げる
手を合わせる
阿弥陀が阿弥陀に
手を合わせる
頭を下げる
ぼくは阿弥陀だ
夢のかけらNo.63『中秋の名月』 2011年10月1日号
中秋の名月
夜になって時々窓から空を見上げた。
厚い雲が空を覆っている。
ところが、十時過ぎから雲が消えていき、まあるい月が中天に浮かんだ。
駐車場の真ん中に折りたたみのアームチェアをひろげる。
左右に蚊取り線香を置き、どかっと座って双眼鏡で月を見上げる。
焼酎の水割り、カンチュウハイ、焼酎のお湯割りと三杯飲む。
雲がなくなる頃から風がひいやりと心地よい。
月は大空に開いた穴のようでもあった。
穴を抜けると見たこともない世界が広がっているように感じた。
亡くなった両親や師匠や友人が、何事もなかったかのように暮らしている。
そんな風にも感じた。
良い書からは音楽が聞こえてくる
新聞に九州、沖縄代表作家展の書作品と顔写真が出ていた。
実物ではないのでよく分からないが、写真で見る限り作品は、洗った刺身という感じで新鮮味がない。
書は難しい。
うまくなると新鮮味がなくなったりする。
と同時に、日本のため、地域のため、会社のため、組織のため何々書道会のためといううそを考えていた。
『書』はその人がストレートに出るから、何々のためと言い、自分自身にうそを言い続けていると書品が落ちて俗になる。
新聞の『書』にはそんなものがチラチラ見えていなかったか。
何々のためという掛け声にはうそがたくさん混じっている。
『書』をそんな狭いところに囲い込むのにはちょっと不満がある。
良い書とは、新鮮で、ハッとして、ウッときて、ジーンとしびれ、アアと思い、フゥーンと感じ、シミジミする。
そして、豊かな音楽が聞こえてくるものだと思う。
そんな『書』が書きたい。
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