2011年10月1日土曜日

夢のかけらNo.63 2011年10月1日号


目次

うれしくて

うたげしき

車中座禅

第六回思郷書庵展

出会いは絶景

読書は脳にとって

詩二編

中秋の名月

夢のかけらNo.63『うれしくて』 2011年10月1日号


八月末、そろそろ『夢のかけら』を作ろうと思った矢先、パソコンが壊れてしまいました。

雷のせいらしい。

夢のかけらNo.63『うたげしき』 2011年10月1日号



と き 2011年6月1日(水)~6日(月)

ところ ギャラリー淡窓 (日田市中央一丁目)



夢のかけらNo.63『車中座禅』 2011年10月1日号

北九州に通いだしたのは三十三歳の五月だったから、丸二十七年になる。

夢のかけらNo.63『第六回思郷書庵展』 2011年10月1日号


と き 2011年7月26日(火)~31日(日)
ところ ぎゃらりぃ椿 (小倉北区真鶴一丁目)



夢のかけらNo.63『出会いは絶景である』 2011年10月1日号


『出会いは絶景である』 
俳人 永田 耕衣氏のことばより


出会い系サイトなどという言葉がある。

夢のかけらNo.63『読書は脳にとって食事』 2011年10月1日号

一、生まれて
二、生きて
 1 親に育てられて成長し
 2 ペアになって子孫を残し
三、死んでいく

夢のかけらNo.63『詩二編』 2011年10月1日号


夏休み

八月もあと少し
夏休みもあと少し
入道雲が消えた
東の空が藍色になる
西の空が茜色に輝く

そんな時
電信柱の陰から
小学生の僕が
老人の僕に
ニコッと笑う
ニタッと笑う
ふふっと笑う

夏休みの宿題は終わったことがない
先生の顔が浮かぶ
赤トンボが飛んでいる
山の色が青から緑に変わる
空の色が秋色に変わる

そんな時
電信柱の陰から
若いおふくろが
年老いた僕に
ニコッと笑う
ニタッと笑う
ふふふっと笑う

そんな時
電信柱の陰から
若い親父が
老人の僕に
ニコッと笑う
ニタッと笑う
ふふふふっと笑う




ぼくは阿弥陀だ

ぼくの体の中を水が出入りする
ぼくは水だ
すこししょっぱいかもしれない
器があればどんな形にもなる
ふだんは形がない
どこにでもあるがどこにもない
いつでもあるがいつでもない
石に穴をあけることもできるし
山を壊すこともできる
人を助けることもできるし
人を殺すこともできる
悪人でもあるし善人でもある
ぼくは水だ
じっとしている時もあるし
はげしく動いている時もある

ぼくの体の中を空気が出入りする
ぼくは空気だ
ぼくは空だ
と言ってもおかしくないんだ
ぼくは空だ
宇宙だ
ぼくは宇宙と同質だ
宇宙は阿弥陀と言ってもいい
ぼくは阿弥陀と言ってもいいんだ
生きていても
死んでいても
阿弥陀
ぼくは阿弥陀に向かって
頭を下げる
手を合わせる
阿弥陀が阿弥陀に
手を合わせる
頭を下げる
ぼくは阿弥陀だ

夢のかけらNo.63『中秋の名月』 2011年10月1日号



中秋の名月



夜になって時々窓から空を見上げた。

厚い雲が空を覆っている。

ところが、十時過ぎから雲が消えていき、まあるい月が中天に浮かんだ。

駐車場の真ん中に折りたたみのアームチェアをひろげる。

左右に蚊取り線香を置き、どかっと座って双眼鏡で月を見上げる。

焼酎の水割り、カンチュウハイ、焼酎のお湯割りと三杯飲む。

雲がなくなる頃から風がひいやりと心地よい。

月は大空に開いた穴のようでもあった。

穴を抜けると見たこともない世界が広がっているように感じた。

亡くなった両親や師匠や友人が、何事もなかったかのように暮らしている。

そんな風にも感じた。



良い書からは音楽が聞こえてくる

新聞に九州、沖縄代表作家展の書作品と顔写真が出ていた。

実物ではないのでよく分からないが、写真で見る限り作品は、洗った刺身という感じで新鮮味がない。

書は難しい。

うまくなると新鮮味がなくなったりする。


と同時に、日本のため、地域のため、会社のため、組織のため何々書道会のためといううそを考えていた。

『書』はその人がストレートに出るから、何々のためと言い、自分自身にうそを言い続けていると書品が落ちて俗になる。

新聞の『書』にはそんなものがチラチラ見えていなかったか。

何々のためという掛け声にはうそがたくさん混じっている。

『書』をそんな狭いところに囲い込むのにはちょっと不満がある。

良い書とは、新鮮で、ハッとして、ウッときて、ジーンとしびれ、アアと思い、フゥーンと感じ、シミジミする。

そして、豊かな音楽が聞こえてくるものだと思う。

そんな『書』が書きたい。