三月十一日を境に、世界はこのままではいけないということを猶予なしに考え始めている。
原発も電力不足を補うクリーンエネルギーの決め手と思われたが、事故を起こせば手の付けられない魔物になるということが良く解った。
少数意見をつぶしてきた結果、想定内であれば事故は絶対起きないという詭弁がまかり通った。
自然に向かって人が勝手に想定すること自体とんでもないことだが、理屈をこねている間はそのことに気付かない。気付いた人が居ても少数意見としてつぶされる。
ところで、今年のテーマである『うれしくて』は言いにくい状況にある。
周りは自粛ムードで沈んでいる。しかし、『夢のかけら』61でも書いたように、一年間はしゃいで暮らそうと思った訳ではないのである。
若いことはいいことだ、健康が一番と言う人が多い中で、今が一番、年を取ることも素晴らしいと思えるようになったことがうれしい。
大きな命の中で生かされていることに気付かされたことがうれしいのである。
大災害の中でも、時は移り草木は芽を出し花は咲いて散っていく。
真実を見詰めて生きたいと切に願っている。
南無阿弥陀仏。
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