四月十日(日) 晴れ
八時前に、八時半を過ぎると電話があり、予告通りに梅原名人が姿を現した。
八時五十分、日田ICより高速に乗り、十一時三十分人吉ICで降りる。そこから西米良村まで約一時間。
予定通り三時間半で西米良村の村はずれにあるモダンな建物の『百菜屋』というレストランに車を止めた。
モダンなレストランの中では、渋いシルバー人材の面々が大活躍していた。
日曜の真昼間ということで店は繁盛していた。席はほぼ満席で、我々はカウンターに座った。
私は人気メニューの『しいたけ南蛮定食、七百円』を注文した。梅原氏は二日酔いらしく『うどんとおにぎり』と控えめ。
カウンターの向こうには釜があり、小柄なシルバーレディが冷凍さぬきうどんのビニールを破り、数個湯に落とした。変な麺よりこれがいいと氏も納得していた。値段も安かった。
食後、山女魚釣りの日券を買う時に川の状況を聞くと、すごい渇水だと言う。
そこから四十分ほど下り、支流に入った。途中ダムの水位はずいぶん下がっていた。
しかし、この支流は、山が豊からしく釣りになる程度には水が流れていた。二年ともわたしは一番下から入渓した。今年もそこから入ることにした。
ところで、ガイド役の高見氏が登場しないことにお気付きの方もおられるかもしれない。
この日神楽があるので、それを見てから上ぼるという連絡が入っていた。
知る人ぞ知る、今や高見氏は九州山地に数多く残る神楽の研究者となり、西米良村からは彼の編集した立派な本が出版されている。
その仕事に通う中で西米良の豊かな川を知り、私達を誘ってくれた訳だ。
大渇水、ピー天、午後二時。自分で巻いた毛鉤を結びテンカラ竿を振り始めた。
最初の大渕はオイカワ(白ハエ)しか出なかった。
淵の流れ込みのあたりオイカワが平(ひら)を打ち、キラキラと光っている。しばらくはハエ釣りになってしまった。
待望の初山女魚が出たのは、二、三百メートルも遡行してからだった。
二メートルばかりの短い流れの中で、毛鉤を追ってふわりと出た。
18cm塩焼きサイズ。
最初の一匹はうれしい。自然の中に受け入れられたときに魚は釣れる。釣れないと何が悪いのかしきりに考え込んでしまう。すると悪循環が起こる。
渇水だから川幅が狭まり魚の居場所は狭くなっている。
魚はピリピリ神経質になっているようだ。
脅かさないように木や石に化けながら静かに歩いて行く。
河鹿が啼いている。うぐいすが鳴いている。
流れの横には鹿の足跡がいたる所にある。桜が満開で風が柔らかい。一匹釣ったことで自然が見え始める。
渓の隅々まで光が満ち溢れ、地球の鼓動が聞こえる。
相変わらずオイカワには悩まされるが、ポツポツ山女魚が出始めた。
中程まで来た時、高見氏からケイタイに連絡が入った。
神楽は中止になり今から上ぼる。五十分ぐらいで着くという。東日本大震災の影響があるのかなとチラッと頭をよぎる。
約束の場所まで来た時、道路に車が見え、降りて歩いているのがどうも高見氏らしい。約束の時間まであと少しだったので納竿して道路に上がった。
「やあやあ。どうだ。」
「まあまあ。」
と会話するうち、梅原氏の車が上流から下ってきた。顔が暗い。二匹だと言う。私は梅原名人の車に乗り『ゆたーと』へ向かった。
コテージに荷を運び込むと、私は下の河原に降りて、山女魚をさばいた。
塩焼きサイズばかり十二匹いた。まずまずの釣果だった。ハエは、三、四十匹は釣っては逃がしただろう。
まずはアルカリ泉の風呂につかり疲れを癒す。
鹿刺を追加注文して生ビールで乾杯。「来年も皆揃ってここに来れますように。乾杯!」渇いた喉にビールが転がり落ちていく。そのうまかったこと。
コテージに戻り高見氏持参の焼酎を頂く。高見氏はあまり飲まないのだが、私と梅原氏はチビチビと頂く。これもまたうまい。
焼酎の魔手に昨夜の酒が呼び出されたのか、一番タフな梅原氏が大人しくなったのを機に、十時前に布団にもぐりこんだ。
美しい一日が終わった。
四月十一日(月) 晴れ 風強し
九時過ぎに入渓。
本道から川へ下りる小道に入り、車を止めたところで二台の箱バンが追い越して行き、すぐ下の行き止まりで車を止めた。
その先は車の渡れないつり橋になっていた。一台目は老夫婦で次は六十代のオッサンが一人だったので、川の向こうに二軒あるのかなと思った。
オッサンと老夫婦の婆さんは橋を渡ったが、爺さんは川岸まで降りてゴミを焼き始めた。
高見巨匠と梅原名人はそれぞれ車で上流に消えた。
私はひとりで河原に降りて行き、爺さんに声をかけた。
「おはようございます。」
「何処から来たな。」
「大分県の日田から来ました。山女釣りです。」
「ま、たくさん釣って帰りな。」
吊り橋の下は大渕になっていて、対岸は岸壁になっている。人が通れるくらいの狭い道は左右に分かれていて、右の奥の方に人家があるらしい。
左、上流の方は開けていて畑になっていた。婆さんは畑を見て回っていた。
川幅は昨日の支流より広いが、水量は変わらないくらい。広い川幅の中を右に左に寄り集まりながら流れている。
発泡スチロールの焦げる臭いが流れてきた。振り向くと深い谷あいに細い煙が昇り始めた。
テンポ良く釣り上ぼる。
昨日と比べると魚の気配がまるでない。ハエもいない。うぐいす鳴き花咲き河鹿啼く抜群のロケーションの中でただ山女魚が居ない。
昨日もそうだった。入渓地点の近くは釣り荒らされていて魚が居ない。どこもそうだと慰める。
二百メートル近く遡行したところで魚が毛鉤をくわえそこなった。
こいつは又出るなと直感したので、二、三度流すと今度は毛鉤をくわえた。
18cm、丸々太った山女魚だった。
そこからポツポツ出始めた。しかし、風が強くなってきた。
春は天気の良い日に風が吹くことが多い。しかも吹き出すと結構強く一日中吹きまくる。
春風と言うと優しいイメージがあるが、そうとばかしは言い切れない。この風には夕方まで悩まされることになる。
テンカラ釣りは、おもりは付いていないので、竿のしなり、ラインの重さで毛鉤を飛ばすことになる。
風が強いと毛鉤が飛ばないしうまく流れない。とたんに魚の出が悪くなる。
そこそこに切り上げて約束の時間に約束の場所に向かった。
梅原名人は間もなく現れた。今日は眉が開いている。釣りに集中できたようだ。
25、6cmのをばらした、と残念がっていた。ビクの中は塩焼きサイズが十匹。名人は、近頃0.175とか0.3とかの細糸を使っている。
釣り雑誌によるとゼロ釣法と言って流行しているらしい。
食いが全く違うと言う。しかし、私の様な粗忽な人間にはゼロ釣法は無理な話だ。若い頃0.3に挑戦したことがあるが、山女魚の当りに合わせた途端に蜘蛛の糸らしきものがふわりと川面を流れて行き、魚の手応えが消えた。
私は、テンカラ釣りも餌釣りも0.6を使う。
二人で釣り談義をしていたが、集合時間の十二時を過ぎても巨匠が現れない。ひょっとして上流に行ったかもしれないと探すが居ない。
ケイタイに電話すると車の中で音がする。一時になったのでついに捜索隊を出すことにした。
私が川を下り、二十分後に名人が巨匠の入渓地点に車で移動、異変があればケイタイで連絡することを打ち合わせて、私は川に降りた。
降りるとすぐに川は左に折れていた。左に折れてヒョッと前方を見ると巨匠が竿を振っている。
「無事で何より、心配して捜索に来たんですよ。」
「すまん、すまん、時計を持ってなくてね。もう。一時か」
「釣れてますね。」
二十匹を超えている。
名人に無事を報告した後、魚をさばくのを手伝った。
川から上がると、還暦前後の爺さんが三人、道端で足を投げ出して弁当を頂いた。心配した分弁当がうまく感じた。
それから、昨日入渓した川に移動した。
昨日私が入った一番下には名人。私は、昨日名人が悪かったところは飛ばしてその上に入った。
三時入渓。巨匠はさらにその上を覗いてみると言った。川に降りて竿を振りだすとすぐに戻って来て、上流の情報を教えてまた消えた。
水量はいよいよ少ない。魚はとてもナーバスになっている。毛鉤のそばまで来るがじっと見て後ずさる。
「へん。また変なオモチャの餌が流れてきた。こちとらちゃんと知ってんだから。だまされるもんか。」
呟きが聞こえる。
やはり入渓しやすい所の魚はすれている。風は時折強く吹くが、いくらか収まってきた。
しぶい、渋い、シブイ。
魚は居るんだが、し、ぶ、い。
時間帯もテンカラには最適なんだが。
入った所の川向こうに二、三軒家があった。
川を渡した紐に鯉のぼりが五、六匹泳いでいた。
中に60cmぐらいのが居た。私はその鯉を釣ってしまった。
気を付けてはいたのに釣ってしまった。苦い笑いを一人かみ締めた。
小さな橋をくぐると渓相が良くなってきた。
ポツポツ出始める。しかし、この近所の山女魚はどうやら毛鉤を知っているようだ。
見やすいのではくわえない、地味なのでは合わせが遅れる。
巨匠が言っていた所まではまだありそうだったが、気持ち良く飛び出してきた一匹を手にした後、魚をさばいて道に上がった。
しばらく下流に歩き、広い所で巨匠を待つことにした。五分もしたらやってきた。釣果八匹と言う。
私は六匹。話しているうちに名人も下流からやってきた。九匹。
名人の横に乗って宿に向かった。
1、2kmで本流に出るという所で、先行していた巨匠の車が急停車した。
何事かと降りて行くと、角の立派な大鹿が右の崖からいきなり車の前に飛び出し、左の川の方に駆け下りて行ったと興奮している。どちらも60、70度はありそうな急斜面。
川までは20mはあるだろう。私も名人も確認できなかったが、こんなところを一瞬で駆け下りて行くなんて天狗か化け物と畏敬の念が湧いてきた。
コテージに荷物を置き、『ゆたーと』のカウンターに現れた時は七時を回っていた。
今から風呂に入ると言うと、食堂からおばさんがサッと出てきて、八時でオーダーストップです。先に注文していてくださいと言う口調がきつい。
そこで注文してから風呂へ向かった。なんだか『ゆたーと』出来なくて、時計を見ながら早めに上がった。
猪の焼肉と鹿刺を別に頼んでいた。今日も一日釣り三昧。ビールのうまさ格別。
その夜、名人は快調だったが私はくたくた。瞼重く早めに床に入った。
川瀬の音が聞こえてくる。
それはとても懐かしく物悲しく聞こえてくる。
四月十二日(火) 快晴
本流を上ぼり、私は前日巨匠が釣った場所に入る。
名人は二つに分かれた本流側、巨匠は右の支流ということで別れた。
私は、前日の午前中の続きとなった。
前日、突風の中うまく毛鉤をあやつれなくてモタモタしている時、毛鉤のそばで空中に体を抜いてこちらをジロリと睨んだ山女魚が居た。
河原を下り、睨んだ山女魚が居た少し下から竿を出した。
二日間、毛鉤釣りの神経戦に目も神経も疲れていたので、今日は餌釣りに変えようと決めていた。
餌釣りの方が目印のあたりを見ていればいいのでいくらか鷹揚な釣りと言える。
竿を出してすぐに20cmぐらいの山女魚が出る。すぐまた一匹釣った。
いよいよ睨み山女魚の居た流れに慎重に餌をプレゼント。
出ない。
すぐ向こうの流れに餌を入れる。当たりがあったので合わせると、21cmの良型が出る。
昨日の奴だと思った。体つきと顔がそっくりだ。ふふふと腹の中で笑う。そこから快進撃が始まった。
途中までは行ったことがあるがそこから先が長かった。
川は三回ほど大きく曲がり、そのつど渓相が変わった。
昨日の様な突風もなく、雲ひとつない快晴で、暖かく美しい春景色。
渇水で川幅は狭く、歩き易く、魚も良く釣れてゆとりがあった。
樹々は新緑を開き始め、川面には桜の花弁がたくさん流れている。
河鹿が哀愁を帯びた音色で啼き、うぐいすは強く清く弾んだ声で鳴き交わす。
近くに人の気配はないが、鹿や猪の気配は感じる。大地から荘厳な音楽が湧き上がる。
光の量がある一線を超え激しく乱舞する。
私の体の中でも光が乱舞し音楽となる。
大地の音楽と私の体の中の音楽は同質で強く共鳴する。
私はうっとりと竿を振っている。
あ、そうだ、と感じる。
頭ではなく体中で感じる。大いなるうなづき。
ずっと以前にもあったような気がする。度々あったような気がする。
「ええなあ、世界虚空がみな仏。わしもその中、南無阿弥陀仏。」
浅原才市の言葉が頭の隅をよぎる。他に言葉がない。
時計を見ると十二時近くになっていた。
十二時が集合時間になっていたので急ぐ。もったいないが急ぐ。
昨日巨匠を捜索に来て一緒に魚をさばいた所で魚をさばく。なかなか終わらない。
川から上がると名人が渋い顔。
長年の勘で分かる。聞くとやはり良くなかったようだ。六匹と言う。しばらくして巨匠も姿を現した。
上流は人が入っていてダメでここ近辺で釣り、十二匹と言う。
やっぱりタダでは起きない人だ。巨匠の所以である。私は十七匹。
前日巨匠がいつまでも上がって来なかった訳がよく分かった。道中が長くてポイントが多いと盛んに喋った。
『百菜屋』でだご汁定食を食べ、一時半巨匠と別れた。九月に一泊でいいからまた来たいねと言い合って。
およそ三時間半。途中Pで時間を作って、五時五分日田ICを出た。
釣りは事前の準備で楽しみ、釣って楽しみ、食って楽しみ、自慢して楽しむ。
その夜、釣りの四つの楽しみが完結した。
二泊三日の宮崎釣行。
豊かな宮崎の川に、
鉤をくわえてくれた山女魚たちに、
宿の手配から釣り場の手配とわずらわせた高見巨匠に、
ずっと運転してくれた梅原名人に感謝しながら深い眠りに就いた。
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